今朝の明け方のこと。ふと目が覚めて、時計を見ると6時、、、「まだもう少し眠れる」と、二度寝しようとした私の脳裏に、なぜか「武蔵」の二文字が浮かんできた。
「武蔵と言ったら、、、」苗字が出てこない。 「……山本……武蔵? いや、違うな。えーと……」
50代半ば。この歳でついにボケが始まったか……と、半分寝ぼけながらも本気で焦り、布団の中で必死に記憶を辿り、、、数分後「宮本!」とようやく正解に辿り着いたときには、すっかり目が冴え渡ってしまいました。
こうなるともう、二度寝どころではありません。 「そういえば、宮本武蔵の流派ってなんだったっけ?」 気になり始めて調べていくうちに、そこには漫画よりも面白い「変遷のドラマ」がありました。
今回は、私の安眠を奪った(笑)武蔵の流派、そして彼が最後に辿り着いた不思議な境地についてまとめてみたいと思います。
武蔵の流派、実は名前が何度も変わっていた?
武蔵といえば「二天一流」が有名ですが、実は最初からそう名乗っていたわけではありません。最初は「円明流」と名乗っており、その後に「二刀一流」を経て、晩年に熊本で「二天一流」として完成させました。
エンメイ流と耳にすると、真っ先に私の頭に浮かんだのは、格闘漫画 『修羅の門』(川原正敏 著)に登場する「陸奥圓明流(むつえんめいりゅう)」です。私はこの漫画のファンで全巻揃えております。
この外伝で陸奥圓明流の歴史を綴った「修羅の刻」のひとコマで、武蔵が陸奥圓明流の継承者と対峙し、武蔵自身が「円明流」を名乗っていた理由についてニヤリとするシーンがあったような、、、
私の睡眠時間がまた削られてしまう(笑)
調べて分かったのですが、武蔵の流派が「円明流」から「二天一流」へと進化していった過程は、まさに武蔵という一人の天才が「技」から「理(ことわり)」へと至る修行の旅路そのものでした。
1. 「円明流」:若き武蔵の「実戦と合理性」
20代の武蔵が京都の吉岡一門や宝蔵院流など、名だたる強敵と戦っていた時期に名乗っていたのが「円明流(圓明流)」です。
- 名前の由来: 「円(まどか)にして明らかなり」。つまり、淀みのない円のような動きと、曇りのない判断力を指します。
- 特徴: この頃からすでに「二刀」を使っていましたが、まだスタイルを固定せず、相手の武器や状況に合わせて勝つための「実戦的な合理性」を追求していたようです。
- 精神性: このころの武蔵は「勝つこと」に極めてシビアな時期です。父・無二斎から受け継いだ「当理流(とうりりゅう)」をベースに、自分流にアレンジした、いわば「武蔵・若気の至りの集大成」といえます。
2.「二刀一流」:迷いなき最強の模索期
武蔵が30代から50代にかけて、名乗っていたのが「二刀一流」です。 円明流で「実戦」を学んだ武蔵が、それを「自分のスタイル」として確立しようとしていた時期と言えます。
1. なぜ「二刀」という言葉を冠したのか?
円明流の頃も二刀を使っていましたが、あえて流派の名前に「二刀」と入れたのには、武蔵の強い信念がありました。
- 「片手では損だ」という合理性: 武蔵は「戦場で片手しか使わないのは、片方の命を捨てているのと同じだ」と考えました。
- 脇差の有効活用: 当時の侍にとって脇差は「自害用」や「予備」の意味合いが強かったのですが、武蔵はこれを「実戦で使えるもう一本の武器」として再定義しました。
2. 「二刀」の本当の狙いは「一刀」を極めること?
面白いことに、武蔵はこの時期、「二刀を自在に操れるようになれば、一刀(片手)で太刀を振るうのが容易になる」と説いています。
- 筋力やバランスを極限まで鍛えるための「二刀」という側面もありました。
- つまり、「二刀一流」とは、単に二本の剣を振り回すことではなく、「どんな状況でも自分の体を最大限に生かし切る」ためのメソッドだったのです。
3. 巌流島の決闘も「二刀一流」の時代
有名な佐々木小次郎との戦いも、この「二刀一流」の時期にあたります。 この頃の武蔵は、相手の武器が長ければそれに対応する戦術を練り、道具さえも自在に使い分ける「勝利の執念」と「技術の極致」の間にいました。
3. なぜ「二天一流」に変わったのか?
流派名が変わったのは、単に名前を変えたかったからではなく、武蔵の「剣に対する考え方(境地)」が劇的に進化したからです。
① 「個別の技」から「普遍の法則」へ
若い頃は「こう動けば勝てる」という「技」の寄せ集めでした。しかし、50歳を過ぎて自身の戦いを振り返った武蔵は、あらゆる勝負に共通する「拍子(リズム)」や「理(法則)」があることに気づきます。 それを体系化したのが「二天一流」です。
② 「二天」という言葉の重み
「二天」とは、仏教の言葉で「太陽と月」を意味します。
- 名前の由来: 肥後の春山和尚から授かった「二天道楽」という号から「二天」を取り、自らの兵法を「二天一流」と名付けました。
- 左右のバランス: 右手(太刀)と左手(脇差)を、太陽と月のように淀みなく、自在に操ること。
- 宇宙の調和: 剣術をただの「人殺しの道具」ではなく、宇宙の法則に則った「道」として捉え直しました。
晩年、熊本で完成した「最終形」
武蔵が熊本の細川家に身を寄せた晩年、ついに「二天一流」として完成します。
- 無駄の削ぎ落とし: 派手な動きは消え、「いかに無駄なく、自然体で相手を制するか」という極致に達しました。
- 『五輪書』の誕生: この二天一流の極意を、死の直前に書き残したのが有名な『五輪書』です。
覚書:「二天道楽(にてんどうらく)」とは
宮本武蔵が晩年に用いた雅号(ペンネームのようなもの)や法号(仏教徒としての名前)です。
現代で「道楽」というと「遊び」や「趣味」といった軽い意味に聞こえますが、本来の仏教的な文脈では深い意味を持っています。
1. 言葉の由来と意味
- 二天(にてん): 太陽と月、あるいは陰と陽といった「対立する二つのもの」を象徴しています。武蔵はこの二つの力を調和させ、自在に操ることを理想としました。
- 道楽(どうらく): 仏教用語では「仏道の修行によって得られる悟りの楽しみ」を意味します。つまり「二天道楽」とは、「二天という真理の道を究めることを楽しむ(生きがいとする)」といった、求道者としての決意が込められた名前です。
2. 春山和尚との関係
武蔵が晩年、熊本(肥後藩)に身を寄せた際、細川家の菩提寺である泰勝寺の春山和尚(しゅんざんおしょう)から授けられた、あるいは共に語らう中で得た号だと伝えられています。武蔵はこの「二天」の二文字を取り、自らの流派を「二天一流」と最終的に名付けました。
沢庵和尚との関係
- 創作上の設定: 小説や漫画では、沢庵和尚は荒くれ者だった若き日の武蔵を導く「精神的な師匠」として描かれています。
- 史実では: 実は、武蔵と沢庵和尚が実際に会ったという確かな記録は残っていません。
- なぜ結びついたか: 沢庵和尚は、柳生宗矩など他の剣豪に「剣禅一如(剣と禅は同じ)」を説いたことで知られており、そのイメージから武蔵の物語にも登場したと考えられています。
3. 芸術家としての武蔵
武蔵は剣術だけでなく、水墨画や工芸の分野でも優れた作品を残しています。
- 彼が描いた絵画には「二天」や「道楽」の落款(はんこ)が押されているものがあり、剣の道だけでなく、芸術を通じて真理を追求する姿をこの名で表していたと考えられています。
晩年の武蔵は、戦いの中だけでなく、静かに「道」を楽しむ境地に達していたのかもしれませんね。
晩年の武蔵が、剣だけでなく絵や工芸の世界にも没頭し、「二天道楽」と称して人生そのものを味わい尽くしたように。
明け方に苗字を忘れて焦った私も、こうして調べて、書いて、表現することに夢中になっている。 どうやら、この記事を書いている私自身も、なかなかの「道楽者」のようです。
「五輪書」は有名ですが、調べていくうちに「二天道楽」の精神が色濃く反映された、武蔵の遺言とも言える『独行道(どっこうどう)』という書物について。。。また眠れなくなりそうですw
皆さんも、自分なりの「道」を楽しんでいますか?

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